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観覧車

2002年7月1日号(No0207)
無名連句同人発行(初版1999年6月1日)

since20020301

選者/牛跡

一の巻

  
雨垂れ聞いて五線譜に書く/311
若き日になくしたものを探し旅/321

   我も刺さし人も刺さす/331
花冷えや腰の痛さのもどかしさ/341
   巣鴨の地蔵手招きをする/351

うちわ買い思い浮かべる幼い日/361
  ついくちずさむいつもの演歌/371
こだわりを一つ持ちたい一つだけ/381
  コタツの上に必ず蜜柑/391
いたずらに過ごすに惜しきお正月/401 
  野菜かき分け肉つまみ出す/411
春遅く一人娘の帰省する/421

*421句選者コメント
『春遅く一人娘の帰省する/ 前句がスキヤキの情景らしいので、ここでは、母、父、娘など家族を対象にした句 が沢山寄せられました。なぜか息子はでてきませんね。母親の立場であれば、息子が でてくるのでしょうが。大方の家では、息子が帰ってきた時、母親はウキウキしてい ます。父親も内心うれしいのですが、息子とは話すことがあまり無く、話をしても片 言会話になるようです。小泉首相の国会記者クラブでのやりとりと同じです。父「新 幹線混んでたか?」、息子「ウン」、息子「お父さん、タバコ減らしたら?」、父 「ウン」てな具合に後が続かない。一方、父親と娘との会話は結構はずむものらし い。察するに、掲句は父親のものですね。時期はずれの帰省もまたいいものです。 ゴールデンウィークには帰省しなかった一人娘が帰って来た。今夜は久し振りに親子
でスキヤキでもつつきながら近況を語り合おう。ついでに、娘の男性関係を聞き出そう。いや待てよ、この話娘の方から切り出すかもしれんぞ。そういえば、8連休と言 っていたのに、なぜ帰って来なかったんだ、そしてなぜ今頃。父親の心は微妙に揺れ 動く』

一の巻/421の選外句


花粉飛び春とはいえどこもる部屋
母の日も相変わらずの口喧嘩

母の日も父は変わらず魚釣り
縁側に筍並べ父笑顔

初瓜を食む縁側に蟻の群れ  (初瓜=はつうり)
たまにわねファーストフードもそれなりに

三の巻

   木枯らし吹いて震える身体/313
サンタさんオーストラリアはサーフィンで/323
   転んだとしてたかが知れてる/333

不合格梅になぐさめられにけり/343

   松の梢に珍しき鳥/353
梅雨晴れて夕日に浮かぶ佐渡の島/363
  連絡船で絵葉書求む/373

カモメさん明日のおいらをおしえてよ/383
  時の流れに苦心さんたん/393
行く人の寒き世間に身をさらし/403

  黙したままにつかずはなれず
/413
さくらんぼ一口づつが楽しくて /423
*423句選者コメント
『 さくらんぼ一口づつが楽しくて/ 前句の“つかずはなれず”という連句の基本をいくような関係とは一体どんな関係なんでしょうね。考えられる三つのケースを考察してみました。一つはお見合いの場。二つ目は、知人に見られたらまずい不倫の関係。最後は普通の夫婦で、三歩下がって夫の影を踏まずというような。私はこういうのを理想にしていたんですがね。どうやら、この場合最初のお見合いの場面だったようです。やがてうち解け、二連のサクランボを一個づつ分け合って口に入れる。さらにうち解けると、二人の仲はサクランボの種飛ばしごっこをするまでに発展するのです。この場合のサクランボは米国産のあのドギツイ黒紫色、甘ったるいものではなく、ほの紅色でやや酸味のある国内産のものでないとダメですよ。ところで、サクランボというのは本来二つ連なっているものなのですが、最近のサクランボは何故バラバラにして売っているのでしょうか。これではサクランボの価値半減です。ちなみに今年は山形産が安い』


三の巻/423の選外句


日曜の華やぐ心に春の雨
藤の花見上げる肩に蜂とまり
雨上がり雫舞い散り夏を実感
早起きし先祖の霊に手をあわす

五の巻

熱燗や愚痴る顔にも笑いあり/315
   五十過ぎまで生きるものとは/325
春愁や見上げし空に星光る/335

   万年補欠の早朝練習/345
五月晴れいい日が続く愉快だな/355

   旅の衣を備え待つ母/365
悲喜交々七十路を往く今平安/375
  
一雨毎に秋らしくなり/385
傾きし家の形見の秋桜/395
  吃水浅きタンカーが行く/405

春嵐小走りに来る配達夫
/415
  大和路深く川のせせらぎ
/425

*425選者コメント
『 大和路深く川のせせらぎ/ 小走りに急ぐ配達夫は、大和路をひた走る飛脚だったんですね。もうちょっとで、斑鳩の里、お寺の屋根や塔が見えてくるはず。それにしてもこの飛脚、せせらぎの音も耳に入らないようです。いわゆる、ランナーズハイというやつかな。以前、運動生理学の先生にお話をうかがう機会がありました。長距離ランナーは走り出して苦しい時間が過ぎると、やがて陶酔の境地に入る。これをランナーズハイと言うのだそうです。脳から分泌されるベーターエンドルフィンというアミノ酸が30個ほど連なった物質がこの正体なのです。一種の麻薬物質で、クセになるので、毎日走らないと気が済まなくなるらしい。パチンコで大当たりしたとたん大脳からこの物質が放出されることが最近証明されたということです。賭事の習慣性は、実はこのベーターエンドルフィンに原因があったのですね。できれば、よい句ができた時に味わう充実感“ハイカーズハイ”といきたいところです。ちなみに、私はそこまで到達できず、四苦八苦の段階で終わっています』

五の巻/425の選外句


  カーテン越しに空模様見る
  ベランダで吸うシケモクの味
  芽吹く木々に爽風渡る  
(爽風=さわかぜ)
  胸のロケット初恋の君

七の巻

お手本をまねて気持ちを新たにす/317
  
雨の狭間の月の明るき/327
夜勤明けいつもの人とすれ違い/337

   英字新聞インクのにほひ/347
母の日に贈る言葉もない私/357
 
  夜半になりて穏やかな雨/367
ひと風呂の平和かみしめ暑さかな/377
   
隣の家の風鈴の音/387
床に伏し行くに行けない秋祭り/397
   
釣鐘饅頭ふたつに割りて/407
春を待つ心はどこか上の空
/417
   哲学の道桜花舞う
/427

*427選者コメント
『 哲学の道桜花舞う/ 前句の春と、桜花とは付き過ぎの感もしますが、哲学の道という語句に惹かれました。一旦哲学の道を志すと、人はどういうことになるか。哲学者は人の生き方の基本を究明することに日々没頭していますので、哲学者はお花見はしないのです。散りゆく桜に世の無常を感じるだけです。したがって、春を待つ心とか桜とか俗人的な事象にはまったく関心を示しません。そういえば、日本のある哲学者は何時桜が咲いて、何時散ったかまったく気が付かなかったという有名な話がありますよね。一方、庶民はといえば、花見だ、酒だ、団子だと悩みはありません。しかし、お花見の幹事はそうはいきません。お花見の場所を何処にしようから始まり、女性の会費を男性並に徴収したら後で苦情が寄せられるかもしれない、雨が降ったら準備したお肉の処分をどうしよう、今回のメンバーからして、ビール:日本酒:焼酎の適正な比率は如何、などなど深刻に悩んでしまうのです。掲句は、哲人と凡人の違いを見事にとらえています。私しゃ哲学の道は極めたくないね。絶対に』


七の巻/427の選外句


  F1レーサー瞳は澄みて
  朝日プラザと呼ばれる広場
  れんげ畑でお弁当ぱくり

九の巻

女という性を捨てれば楽なのか/339
  箸を逃げたる赤き素麺/349
ストレスを発散させに友が来る/359
  
帰ったあとでどっと疲れる/369
聴診器背中に当てて仮眠する/379
   振り向きざまに筋を違えて/389
蒸し暑く心の言葉もどかしく/399
  心残りで外に出かけて/409

秋の月遠く遠くに輝きぬ/419

  アフガン国境テントの寝息/429

彼の空の何処へ消えたか渡り鳥
/439
  夜も更けた頃回覧板あり/449
*449句選者コメント
『 夜も更けた頃回覧板あり/ 前句の渡り鳥は、“アキラの帰ってきた渡り鳥”や“寅さんシリーズ”などでおなじみの格好を付けて世を渡り歩く鳥ではなく、飲み屋の止まり木を渡り歩いているハシゴオヤジなんですね、これは。ある種の渡り鳥は、星のコンパスによって飛ぶ方向を決めているらしい。この渡り鳥系オヤジ族は星空を見上げませんし、またそんなシャレた機能はありません。時間感覚、方向感覚、平衡感覚ついには金銭感覚まで麻痺させ、高次元の世界を飛んでいます。そのため、もっとも原始的な試行錯誤という方法に頼ってわが家にたどり着くのです。アパートであれば、真夜中に他の家のピンポーンを押してみたり、また自分の鍵で何とか他人の玄関を開けようとしている不審人物は大概この類です。家で待つ奥さんは気が気でないですよね、きっと。夜も更け
た頃、玄関で何やら人の気配、やれやれと胸をなで下ろしたとたん、ガタンという回覧板を入れる音でした。奥さんの不安はつのる一方(そうでもないか、オヤジのいびきが聞こえないだけぐっすりと寝入っているかも)。集合住宅で夜中に回覧板を回すのは、たいてい単身赴任者です。回覧板の中身は、近所のお宮で家内安全の祈祷を受け付けるとか、町内運動会の案内とか、単身赴任者にとっておよそ縁のないものが多い。真夜中に洗濯機を回しているのもまた99%は単身赴任者です。それでは残りの1%とは。子供がおねしょうした家なんですね。単身赴任者も社会生態学的には、旅鳥という渡り鳥の一種に分類されます。“鳥雲に入る”など風雅な季語もありますが、やるせないですね、渡り鳥って 』



九の巻/449の選外句


  手持ちぶさたの双頭の鷲
  帰りそびれし朝の月
  齢かさねど思いでだけは 

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©KinZo-net02/06/29